Lesson3-1 リンパの由来と歴史

由来と歴史、リンパの発見

Lesson1ではリンパそのものについて、Lesson2ではリンパ器官や循環器系について、それぞれ科学的な視点から解説しました。ここから先は少し気を楽にして、リンパの歴史について学んでいきます。

リンパが「白い血」と呼ばれていたこと、西洋医学における血管やリンパ管の発見、日本におけるリンパの受容の過程などについて見ていきましょう。

リンパの由来

「リンパ」という言葉はそもそもどこから来たものでしょうか。

ラテン語では”Lympha“、ドイツ語だと”Lymphe“、英語では”lymph“と時代を下るにしたがって変化していきますが、その語源はギリシア語の”nymphe“(ニンフェ)です。

nympheとは山や水の精、森の精霊などを意味する言葉です。ファンタジーに詳しい方ならピンと来るかもしれませんね。なんとなく可愛らしい妖精の姿をイメージされると思いますが、リンパという言葉はそのようなイメージから来ています。

森の中の綺麗な水。美しく穢れのない湧き水。

身体の中を流れる透明感のある白い液体の性質については、この頃からなんとなく判明していたということでしょう。

リンパの発音

なお、もともと”nymphe”(ニンフェ)だったものが西洋では次第に「リンファ」に近い発音になっていったことは、リンパ管分節のことをリンファンギオンということからも察せられるかと思います。

しかし、日本では今でも「リンパ」というラテン語風の発音で呼ばれています。

まだ西洋でラテン語が知識人の共通言語だった時代、日本は鎖国をしていました。しかしオランダだけは例外として長崎の出島で貿易が可能であり、この頃にやってきた蘭学者たちから『ターヘル・アナトミア』という医学書がもたらされ、杉田玄白らによって日本語に翻訳されていきます。

この時代にはまだ「リンパ」という発音でしたので、日本でもその音訳が生き残ったと推測されているのです。もう西洋ではラテン語は使われなくなりましたが、当時の発音は歴史の流れの中で枝分かれして、日本で生き延びているのです。

リンパは白い血

リンパはかつて「白い血」と呼ばれていました。

呼び始めたのは紀元前五世紀ごろに生きた医学の父ヒポクラテスです。彼については「ヒポクラテスの誓い(The Hippocratic Oath)」というギリシャ神への宣誓文が有名です(実際に本人が書いたわけではないようですが)。患者のプライバシー尊重医の平等などを説いたもので、北米の医学学校では卒業式にこの宣誓を行うことも多く、医学に従事する方なら聞いたこともあるかもしれませんね。

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話を戻しましょう。ヒポクラテスはリンパの液体としての性質に着目し、この透明感のある白い液体を「白い血」と呼びました。Lesson1で学んだように、リンパの中にあるのはリンパ球、すなわち白血球がメインですから、赤血球がメインの血液のようには赤くはなりません。また、乳びのように脂肪滴が混じって白くなってしまうものもあります。

語源のnympheからも伺えるように、当時からリンパに関しては清浄なイメージがついていたと考えてよいでしょう。

リンパの歴史・序章

脊椎動物の血管系には動脈系・静脈系の2系統あり、血液は血管内を閉鎖された状態で循環し、血管外の組織にそのもの自体を吸収されることなく動脈から静脈への移行を行います。

この「閉鎖血管系」と呼ばれるシステムは英語国の外科医ウィリアム・ハーヴェイが17世紀に発見したもので、他の研究者の追試や更なる研究の深化により、17世紀中に血管系の基礎的な概念はほぼ確立されています。

それでは、同じ循環系のリンパについてはどうでしょうか。こちらについては、腸で吸収したものが乳び管に入る、ということ以外はなかなか解明されませんでした。なにしろリンパは透明感のある液体ですし、リンパ管にしても観測するのはとても難しかったのです。

たとえば紀元前4世紀にはアリストテレスがリンパ管のことを「無色の液体を入れた管」「血管と神経の中間の索状物(fibre)」として記載していますが、文献によってはアリストテレスがリンパ管を観測したかどうかは怪しいとされていました(バルトリン腺で有名なバルトリンがアリストテレスの文献を訳したとき、inesというギリシャ語を何らかの理由でfibreと訳してしまったとする説があります)。

リンパ管の研究については紀元後2世紀まで少しずつ手探りで進んでいきます。前4世紀から前3世紀にかけて、医師ヘロフィロスとエラシストラトスが乳びらしきものを記録に残しています。これはおそらく動物の生体解剖や人体の観察によって得られた知見でしょう。また、紀元後1世紀、2世紀ごろには腸から発した乳び管そのものや、その管が腸間膜リンパ節につながることが発見されています。

しかし、紀元前3~15世紀ごろ、およそ1000年以上にわたり、リンパに関してはそれ以上の突き抜けた発見がありませんでした。宗教的な理由により人体解剖が禁止されたため、医学が大いに足止めをくらってしまったのです。中世ヨーロッパのルネサンス頃にイタリアの解剖学者バルトロメオ・エウスタキオが馬のリンパ管を発見したということもあったのですが、その業績はいったん忘れ去られます。

リンパに関する本格的な研究が始まるのは17世紀頃からのことです。次章では、そのあたりの経緯を探っていきましょう。